にんにく・化学調味料不使用!女性が女性の為に創った無添加のヒマラヤ岩塩を使ったKENPEIの岩塩唐揚げで身体の中から美しく。

STORY
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幼少期
「プリリコものがたり」

こんにちは、プリリコの中谷裕美子です。
今日は「プリリコものがたり」をお届けします。
 
兵庫県神戸市出身。その後加古郡播磨町で幼少期を過ごします。
高校を卒業した後看護学校へ進みました。
 
就職先も決まり、看護の道という未来に胸を膨らませながら卒業しましたが、
一回目の国家試験は見事に不合格。
結婚・出産・2度目の挑戦

30から40歳の女性が多い職場で看護助手として1年間働くこととなります。
 
そのメンバーの中で一番最初に結婚し、出産を経験することとなります。
おなかが大きい状態で2度目の国家試験に挑みました。

心無い言葉も耳に届きます。
「そんな状態で受からへんわ」・・・なんて。
 
不幸にも無名の問題集から半分以上出題されていました。
見たことも聞いたことも無い問題に頭が真っ白になります。


しかし、試験中に「分からない問題」に出くわすと
赤ちゃんがお腹を内側から蹴ってくれることに気づきました。

「ねえ、この問題正解これ?」

お腹の赤ちゃんに問いかけます。
 
「ぽん!」と蹴ってくれたら、「よしこれだ!!」

これで見事合格。
不思議ですが、本当のことなんです。
生まれてくる前から子供には感謝しています。
職場復帰

子供を預けて職場に復帰しました。26歳で管理職になります。
認知症がある患者さんを10数年担当しました。

さっきあったことをすぐに忘れてしまう患者さんに「今のこの瞬間だけでも笑顔になってもらえれば」
という気持ちで毎日を過ごします。

ヒマラヤ岩塩

わたしは、看護師をしながらヒマラヤ岩塩を仕入れて販売するという商売を始めていました。
しかしながらこちら見様見真似の素人商売。

部屋が一杯になるくらいの1トンの岩塩を仕入れてみたのですが、
全く売れませんでした。

「取り合えず、この岩塩なんとかせな・・・。」
そう思いながら5年間見て見ぬふりをして過ごします。


もうそろそろ何とかしないと…。
そうだ!岩塩を調味料として使おう!


岩塩唐揚げの誕生

惣菜販売の従業員に転身したけんちゃんに私はお願いします。
1度だけでいいから、販売している惣菜の隅っこに岩塩を使った唐揚げを置いて一緒に販売して欲しい!と。

毎日毎日私、手作業で岩塩の塊をトンカチで割って、
パウダー状にまで砕いていたんですよ。
「美味しくなれ~、美味しくなれ~。」って呟きながら。
 
呟いてたからでしょうか?
有難いことにその試験販売で、岩塩唐揚げは爆発的に売れ出しました。
やはり奇跡はあるのでしょう。


これはいける!と思った私は、ある百貨店のバイヤーさんに岩塩唐揚げを販売したいというお話をし、次々に関西圏の百貨店からオファーを頂く事となるんです。
「天空がけ」

販売が決まり、より本格的な商品づくりの毎日です。
「うすいな。」「今度は濃いで。」

そしてパウダー状にした岩塩を、けんちゃんの長身を生かした高い位置から振りかけてゆきます。
 
そうです、「天空がけ」の誕生でした。

商品づくりに没頭している最中、ある取引先の方に「塩分濃度」について言われました。
「知ってるか?人間が最も美味しいと感じる塩分濃度いうのがあるんやで。」

「塩分濃度ですか?四文字熟語、あんまし得意じゃないもんで。」

「熟語の話しじゃないっ!今作ってる唐揚げの塩分濃度がぴったりやっていう話!!」

「天空がけ」。
岩塩のパウダーに空気を含ませることで旨味も増すとのことなのです。
お客様に楽しんでもらおうと思ってやっていたことに、科学的根拠があることにビックリでした。
百貨店の一等地でデビュー

やはり兵庫県に拠点を持って唐揚げづくりを行っている身として憧れの某百貨店。
 
もっと沢山の、まだ見ぬお客様に楽しんでもらいたい!
ここまで来ると物怖じなんてしてられません。

某百貨店の担当の方に何度も電話しました。
電話をして断られる、の繰り返し。
「またあんたか。しつこいなあ。唐揚げ屋は多くて空きは無いんやって。」

それでもへこたれずに何度も電話し続けました。
5回目の電話でしたっけ。

「(フフ‥鼻で笑われ) もう、しゃあないなあ。一回会ったるからおいで。」
 
私、本当はそんなに厚かましい方じゃないんですよ。
でもね。知らない間に学んでいたのかも。
「チャンスは自分で創るもの」って。

とうとう某百貨店の一等地でデビューを果たしました。

「女性がやってるんやったら女性らしくしたら?」
というご意見も頂きました。

そこで、店構え・包装紙・制服全部をピンクで可愛くスイーツ屋さんイメージに一新しました。

エールに交じって、「どうせ失敗するわ」「お金の無駄やで」
といった色んな声も聞こえて来ました。

でもね、折角掴んだチャンスですから、後ろ向きになんてなってられません。
だって、応援してくださるお客様が居てくださるんですから。

気が付けば人だかりが出来ていました。
その中でも若い女性のお客様が多くなっていることに気付きます。
ピンクの装飾が功を奏したのでした。
全国展開

上手くゆくときは、上手くゆくものです。
丁度この頃「面白い唐揚げ屋がある」と噂になり、
様々なバイヤーさんが見に来られました。
 
そして瞬く間に。全国展開。

一年目は本戦に出ることが叶わなかった「唐揚げグランプリ」も、
二年目は岩塩唐揚げファンのお客様のお陰で金賞を頂戴しました。
 
神戸セレクションに選定された時は天にも昇る気持ちでした。

「信じろ。突き詰めろ。」
「ここまでやったら、やりとおせ。」
これは、私のポリシーですね。
プリリコ
念願の店舗をオープン

そして念願の店舗をオープンしました。場所はもちろん、生まれ育った播磨町です。
ラーメン屋さんの居抜き物件でしたが、どうしてもキッチンが欲しかったからです。
実は、店舗を構えるなんて夢のまた夢だと思っていたんですよ。

でもね、カウンター越しにお客様の揚げたてを食べたときのお顔が見える。
それが一番の幸せなんです。

店舗でしか提供していないメニューもあるんですよ。
催事に出店している時のお客様が、それを目当てにわざわざ播磨町まで足を運んで下さるんです。
 
「有難うございました。」
「あのな、こっちこそ有難う。」

こんなやり取りができるなんて、素敵です。
幸せ者

「自分たちの身の丈で勝負したい。」
でもそれは決して自分を小さくまとめるって意味ではなく、
沢山の方々に助けて頂いて身の丈を成長させるってことなんですよね。
そうやって「自分たちの出来る範囲を広げてゆく」。
 
応援してくださるお客様。協力してくださる方々。
皆さんに出会えて、私たちは本当に幸せ者です。



令和2年 10月吉日 代表 中谷裕美子